Zplusの問題点に関する考察/3

0087年11月のZplusの先行量産機のロールアウトから間もない12月7日
俗にいう『プロスペロー号事件』では、アムロ大尉の搭乗する『Zガンダム3号機』
の出撃が確認されています。
Zplusのデータ収集だけでもそれなりの労力が必要な中、
なぜこの時期にアムロ大尉はZガンダム3号機に搭乗していたのか?
「宇宙用C1型の開発にさいして、不足しているなんらかのデータを収集する為」
アナハイム社はカラバのアムロ大尉に『Zガンダム3号機』でのデータ収集を依頼したのではないか?
というのが仮説です。
同時期、Zガンダム3号機にストライクユニットを装備した仕様でのテストも目撃されており、
これらのテストがZplus/C1型や以降のZplusバリエーションの開発の礎となったと考えるのが
最も自然であると思うのですが如何でしょうか?

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Zplus先行試作機やZガンダム3号機による各種テスト(実戦含む)で得られたデータによって
カラバ向けZplus/A1型の最終調整や連邦軍向けのZplus/C1型の開発は急ピッチで進行。
その中で引き続き活躍したのが他でもないZplus/A1型の先行量産機というわけです。

アムロ専用機と称されたテールレター『RNPC』の機体とテールレター『PNPB』の機体は
この時期まだ生産数が十分ではない状況も重なりZplus/C1型の開発母体として宇宙に上げられました。
α任務部隊に配備されたZplus/C1型がカラバの先行試作機A1型とテールレターが重複していたり
(通常軍規においてテールレター等の重複はないものとされている)
宇宙機なのにも関わらず『ロービジ迷彩』なのはこの辺の流れが起因するものと考えると辻褄が合いそうです。
α任務部隊に所属した2機のZplus/C1型は、地上でカラバが様々なテストを繰り返していた機体「そのもの」
と考えれば、矛盾を解消することができそうです。

次回は、設定上、分解廃棄処分になったと記述されている箇所への考察も行う予定です。